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婦選アーカイブス

母子扶助の法制定促進と母性保護連盟

昭和初期の恐慌期における母子家庭の救済は、婦選獲得同盟の運動の一つとなった。

1934(昭和9)年第5回全日本婦選大会でも母子扶助法の即時制定を決議し、母性保護法制定促進婦人連盟(委員長・山田わか)を結成。翌年、母性保護連盟と改称、市川房枝は議会部長となった。34~35年にかけ、衆・参両院議長に対する積極的な請願運動の証として石本静枝(加藤シヅエ)らの署名入り請願書などが残されている。

また、母性保護連盟の運動精神を喚起させるため、講演や映画会が開かれた。35年5月、「母を護る歌」の公募も行った。選者は長谷川時雨、野上弥生子、与謝野晶子と当時の一流作家、歌人たちで、『婦人公論』同年10月号に当選者が発表された。428篇の応募に、与謝野は「作者のこの問題を歌わねばならぬ心の要求が、これほどまでにあるのか」と選評している。

積年の女性たちの要求「母子保護法」は37(昭和12)年3月に成立した。

(『女性展望』2011年8月号 掲載)

「母を護る歌」に応募した作品原稿

母子保護法成立祝賀会 挨拶する山田わか

1937(昭和12)年4月

(於日比谷・松本楼)

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