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婦選アーカイブス

全関西婦人連合会と恩田和子

大阪朝日新聞社の後援による第1回関西婦人団体連合大会が開催されたのは1919(大正8)年。23(大正12)年に全関西婦人連合会と改称、関西地区における女性運動の拠点として活動を開始した。会の運営に最も大きな役割を担ったのは、当時の大阪朝日新聞記者で、会の結成から解散(41<昭和16>年)まで理事長を務めた恩田和子である。「全関西婦人連合会事業報告」(大正13~14年)から、各年の「連合大会討議研究議案」(欠落あり)などの記録が残され、女子教育に関する建議、消費経済関係、職業婦人と産前産後問題また婦人総動員的な方向のテーマも含まれている。

婦選獲得同盟も毎回大会に市川房枝、金子(山高)しげりらが参加、27~32(昭和2~7)年に展開された婦選請願署名運動では、共同提携して8万名に及ぶ署名を集め、議会へ提出している。これらの会の運営状況を語る恩田和子の獲得同盟本部、主に金子しげり宛の書簡も生々しい時代の証である。

(『女性展望』2011年10月号 掲載)

衆議院市町村制委員会傍聴中の恩田和子(後列左)と竹中繁(右・東京朝日新聞記者)

1929(昭和4)年2月

婦選獲得同盟金子茂(山高しげり)宛恩田の書簡「有権者諸氏に訴ふ」

1930(昭和5)年2月12日付

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