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婦選アーカイブス

戦時体制下における軍事援護の女性団体

戦時、日本の軍国主義政策を支えてきた主な女性団体は、1901(明治34)年に成立した愛国婦人会、31(昭和6)年に満州事変以後結成された大日本国防婦人会、大日本連合婦人会で、その後、戦時色が強まる中でこれらの3団体は軍部と政府によって42(昭和17)年大日本婦人会に統合結成された。

 

愛国婦人会は、日清戦争後の戦死者遺族や傷病兵救済など慈善的活動から、やがて家庭国防思想の鼓舞が目的となる。

 

日中戦争以後は、大日本国防婦人会を中心に報国運動が提唱され、出征兵士の見送りなど機関誌『日本婦人』39(昭和14)年5月号の表紙は主婦層の戦意高揚の象徴と見ることができる。

 

市川房枝は大日本婦人会の審議員に任命されたが、2年後、約200名の審議員中ただ1人再選されなかった。同会の発足以後の史料は当図書室に多く残されている。

 

市川は、大衆女性の意思が反映されていない官製組織を批判、「大日本婦人会を解消し、町内会部落会に一元化せよ」と婦人問題研究所の機関紙に掲載した。因みに婦人問題研究所は4月13日、空襲により焼失、この号が最終号となった。


大日本国防婦人会機関誌『日本婦人』

1939(昭和14)年5月号

大日本婦人会審議員委嘱状

1942(昭和17)年1月28日

『婦人問題研究所所報』

1945(昭和20)年2月28日発行

 

 

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