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婦選アーカイブス

占領下におけるGHQ(連合軍総司令部)の女性対策

敗戦後、GHQの日本民主化への五大改革指令(1945年10月11日)のトップに「女性参政権の付与」が示されている。当時の幣原内閣は、GHQの意向を察知、10月10日の閣議で選挙法を改正し、日本政府によって女性に参政権を与えることを発表した。

 

それは、戦前からの市川房枝らの女性参政権獲得運動の成果が反映された結果とも言える。衆議院議員選挙法が改正(12月)され、各地で選挙啓蒙の集いが行われ、「各政党の政策を聞く会」も女性団体によって主催されている。

 

GHQ女性対策を担当したのは民間情報局婦人課長ミス・ウィ―ド中尉である。ウィード中尉は女性問題の専門家ではなかったが、日本女性の実情を把握すべく、度々市川房枝に意見を求め、面談を希望していた。通訳椛島敏子の書簡は、その実証と言える。また女性団体組織化に熱意があり、「婦人団体育成の手引」のパンフレットを作成、配布している。ウィード中尉が各地で女性団体と交流、親交を深めていた様子の写真も残されている。


市川宛椛島書簡

1946年4月

GHQ作成の「婦人団体育成の手引」

新日本婦人同盟など10団体主催

1945年12月

全国遊説に出たウィード中尉(左)と椛島 1946年

 

 

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