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婦選アーカイブス

敗戦直後の食糧対策

太平洋戦争敗戦後の国民生活の混乱、とくに首都圏での食糧不足危機は深刻であった。

 

主食米の配給遅れ、欠配が続く中で政府施策への不満を訴える集会「食糧メーデー」 (1946年5月)が皇居前広場で行われた。主催した関東食糧民主協議会機関誌『民協ニュース』(46年10月)にも、イモ大会を開くアピールをしている。

 

当時の経済危機を乗り切るために設置された行政機関、経済安定本部も「魚と野菜を買う時の心得」(46年)では、“おばあさん おくさん、おぢようさん、女中さん”と呼びかけ、当時ならではの広報紙である。

 

東京婦人団体協議会は、切羽詰まる食糧不足に、「食糧要請文案」を作成(47年7月)、GHQ・マツカサー元帥宛に食糧の放出を嘆願した。

 

輸入食料品の支援の多くは、進駐軍の放出する粉類や缶詰類で、町内会を通じて配給された。「輸入食糧の使い方」(47年)も絵入りレシピである。当時の関連資料として『食糧確保実行委員会ニュース』(経済復興会議)、『食糧難協同打開運動要項』(日本協同組合同盟)などもある。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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