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婦選アーカイブス

「原水爆禁止運動関係」―平和への訴え―

わが国の原水爆禁止運動の起点となったのは、1954(昭和29)年3月1日に発生したマーシャル諸島・ビキニ環礁での米国による水爆実験である。折しも領域を航行中だった日本のマグロ漁船「第五福竜丸」船員23名が“死の灰”を受け被爆した。広島・長崎に続く被爆に国民の怒りの行動を示した関連資料がある。
「全国会議資料」には、世界に訴えるべく鳩山一郎総理大臣宛の要請文など1979年までの関連会合の記録がある。また女性諸団体が結集した「被爆問題を考える婦人集会」(1977年)での市川房枝挨拶文やビキニ問題発生直後、苦悩する日本で原爆兵器の研究に反対して投獄された英国物理学者ロンズデール女史の講演会(1954年8月、主催・日本キリスト教女子青年会ほか)のチラシもある。

「第五福竜丸を保存する会」(1969年設立)の資料も市川が会の委員時代分を所蔵している。

 


署名運動資料(1955年)

原水爆禁止東京大会の入場券(1956年)

 

 

主催者挨拶をする市川房枝(1977年7月)

 

 

 

 

 

 

 

 

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