2020年9月18日、ルース・ベイダー・キンズバーグアメリカ最高裁判事が87歳で亡くなった。この映画は若い女性監督2人によって制作され、2018年5月一般公開された。
映画紹介: 1933年ニューヨーク、ブルックリンで生まれたルース・ベイダー・キンズバーグ。弁護士時代から一貫して女性やマイノリティの権利発展に務めてきた彼女は、1993年にビル・クリントン大統領に女性として史上2人目となる最高裁判事に指名される。以降も男子大学の女性排除、男女の賃金差別、投票法の撤廃などに、弁護士時代と変わらぬ視点から、法の下の平等の実現に向けて、果敢に切り込んでゆく。若者を中心に絶大な支持を得る「RBG」はいかにして誕生したのか?彼女をよく知る家族、友人、同僚が母として、友人として、働く女性としてのルースの知られざる素顔を語り、彼女を支え続けた夫、マーティンとの愛溢れるエピソードも描かれる。(映画「RBG 最強の85歳」公式サイトHPより) |
当日は午前・午後の2部に分かれて開催され、映画上映後のトークの講師は松本侑生子さん(映画評論家・ジャーナリスト)と道下匡子さん(作家・翻訳家)。
午前の部「みんなでトーク」松本侑生子さん(映画評論家・ジャーナリスト)
午前、松本侑壬子さんは作る側としては、若い監督2人によって、ギンズバーグさんの勘所と魅力のすばらしさを押さえて描かれており、観る側としては他人事ではない映画と思えたと話し始めた。
◆松本 自分とは年齢も近く、どのようにして女性の地位を獲得していくかという女性問題の原点が、1人の女性の姿や働きを通して具体的に描かれている。彼女は裁判官なので法律的な意味での女性の問題が焦点になっていたが、1人の女性としての人生も描かれ、非常に多面的なドキュメンタリーである。皆さんがこの映画を観て自分が一番いいと思った点をお互いに話し合いたい。
〈参加者からの声〉
- 女性の尊厳がピーンとするような緊張感で観ることができて感動している。
- 男性の皆さん、私達を踏み続けているその足をどけてください」という言葉が記憶に残った。私たちたち皆が感じていることだから。そして夫選びに成功していること、最初の選択が大事だ。夫マーチンさんは私の知性を観てくれた人だとキンズバーグさんは言う。お互いを尊重し合って暮らしてきたからこそ50何年も愛情を持ちあえるカップルになれたんだと思った。
- 緒方貞子さんご夫妻を思い出した。ご夫君実力があったから、貞子さんが偉くなってもびくともしないで、今日の映画のように、奥さんが偉くなるのを喜んで見ているという感じだった。貞子さんが10年間高等弁務官を続けられたときは、ご夫君は日本で単身生活をされ、「家内は国家へ貸し出しました」と言われた。キンズバーグ夫妻もお互いに自分の信念を持って自分の道を進んでいらっしゃったんだと思う。
- 女性学の視点で観た。女性と教育も描かれていたので、興味深かった。
◆松本 ハーバードの大学院で女性の新入生に対して、学部長が君たちは男性の席を奪ってまでハーバードに来た。どういうつもりなんだと言ったという歓迎の言葉とは思えないスピーチが紹介されている。その数年後、日本では女子学生亡国論が暉峻康隆さんと池田弥三郎さんによって声高に唱えられた。4年制大学への女性の進学率はかなり低く、男女共学の大学ではさらに低かっただろう。当時の世間の見方はアメリカも日本も同じだったと思う。ギンズバーグさんはそういう差別を乗り越えて学んできた、元気になるような話だ。
- 17歳のときに亡くなったお母さんの言葉が彼女のベースで、それを貫いたのではないか。「怒るな」「自立」の2つ。確かに彼女はこの2つをやり遂げたと思う。あそこまで自分自身を成長させることができたのは、環境的に恵まれたことと彼女の人柄である。「怒らない」というお母さんの言葉は、相手に対して自分を押し付けないこと、見下さないことという意味であり、自分が最高裁判事という立場でありながら、大統領選でどちらに投票するかにおわすような発言は自分の立場としてはまずいことだと、自分を律することができる。70年間、お母さんの言葉に支えられたのだと思う。憲法は自由、平等、博愛、男も女も、どこの国から来ても関係ない。最高の憲法をバックにして、ただ論理的に説いたのではなく、実際的な活動、最高の決断をした。
◆松本 お母さんの言葉「Be a lady and be independent」。 淑女たれ そして独立せよ。エレガントで大声を立てず 優しく美しくあれ。しかし自立せよと。
- 最高裁判事に指名される前にたった15分でクリントンの心を掴んだのはやはり人柄だ。
◆松本 キンズバーグさんは仕事ばかりで家族ぐるみ巻き込んでしまう、日本では大変な困ったおばあさんと思われがちだが、命がけの、それが彼女の生きる道だった。それを良しとする家族がいる。パートナーが支え、世間をみな敵に回しても自分だけは彼女の味方だという56年思いつづける人間関係。本気で愛し合い、本気で力を出し生きていく姿は羨ましい。こういう生き方があり得るのだとこの映画を観て勇気づけられた。
松本さんは最後に、発言してくださった方たちと皆さんと気持ちをシェアして、有意義にこれからも女性の問題、社会の問題、選挙の問題などを考えて、改めて生きていきたいと思うと述べた。
午後の部「平等と人権の守護神」道下匡子さん(作家・翻訳家)
午後は「平等と人権の守護神」のテーマで、 道下匡子さんが映画の場面を振り返りながら、ルース・ベイダー・キンズバーグさんの横顔を語った。
ルースは芸術を愛する人だった。法律は無味乾燥な言葉ばかり並んでいるが、彼女のスピーチは、理路整然として、しかも魅力的で温かい。それは知識や論理とは別に、自然界の法則や人間を重要視する人だったからだと思う。杓子定規に法律を当てはめるだけではなく、人それぞれが持っているバックグラウンドと法律の関わり合いを述べて、裁判で判決文をただ読み上げるだけではない、というところが面白い人である。
マサチューセッツ州のアマースト大学の学長は女性で、この学長とルースの対談でも、ルースは軽はずみな答え方はしていない。ゆっくりと、1つ1つの言葉が宝石のようだ。ルースのコーネル大学での英語の先生は、『ロリータ』の著者ナボコフ教授だった。彼は「ロシア語でも英語でもフランス語でも書けるが、私は英語で書く。英語ではホワイト ホース。フランス語では形容詞が後。小説家としてそれはよくない。英語の方が性に合っている」と言ったという。ルースは法律を専門にする前にナボコフのような芸術家の下で言葉の感覚を学んだのだと思う。
夫マーチンは、ルースが出会った男性の中で唯1人、全く彼女の知性を恐れなかった人だった。彼自身に自信があったから、優れた女性を恐れなかった。大きな転機はルースがカーター大統領の指名で、ワシントンの連邦控訴裁判所判事になったことで、マーチンは当時ニューヨークで成功したやり手の税務専門の弁護士だったが、妻とともにワシントンに移った。
ルースにとって男性に重要なのはsense of humorだった。頭の良さや鋭さ、知識が出るところだからである。連邦裁判所のスカリオ判事は保守で、ルースとは相反する主張の持ち主であったが、仲がよかった。多くの人が言った。どうやってそんなにうまくつき合えるのか、そんなに意見が分かれていたら友達になれないと。ルースがスカリオとうまくいく理由の一番は、スカリオがsense of
humorの持ち主だったからであり、2人とも最高裁のあるべき姿と憲法を尊び、仕事の中核にあって動かない。それが私たちを結びつけているという。この2人のことはオペラにも書かれた。
ルースは私のことをこういう風に思い出してほしいと言う。私の持っている能力のすべてを出して仕事をしてきた。仕事というのは、女性だけではなく、すべての人の平等と人権を守ることであると。
道下さんはこの映画だけではなくルースからは多くのエンパワーメントをもらえる。ルースに学んで、日本をもう少しよい社会にするよう頑張りましょうと結んだ。(や)