吉良智子さん(日本女子大学学術研究員)は近代日本美術史・ジェンダー史を研究しており、この講座のテーマ(戦争と女性画家たち)については2013年より3冊の著書を出している。すでに1、2冊目は品切れとなり、2023年7月に加筆した3冊目が『女性画家たちと戦争』として刊行された。テレビなど、メディアでも注目されている。
講座は、まず初めに「女性芸術家の名前を何人知っているか?」という問いかけから始まった。一般に「芸術は自由」と言われているにもかかわらず、なぜ女性が少ないのか。そこからジェンダー視点で美術史を捉えるという視点が立ち現れてきた。そのポイントは女性芸術家の少なさの社会的背景を考えることであり、そこで生み出された女性像は「誰の」「どのような」欲望=無意識の価値観によって生みだされたかを考えることであるという。
具体的に、男性画家との違い――家庭・生活環境(出身階層)、教育、職業的自立について触れていく。女性の場合、中産階級以上の出身で周りからは洋画より日本画が奨励された。美術教育では男性に官立の東京美術学校(現、東京藝術大学)が開かれていたのに対し、女性は私立の女子美術学校(現、女子美術大学)という不平等もあった。展覧会で入選を重ねたとしても職業画家として自立することは困難であった。プロになることはジェンダー規範・性別役割分業からの逸脱と見做されたのである。絵画を論評する世界でも評論家・研究者は男性中心で、女性画家の場合は作品よりも容姿や態度が注目され「見られる性」として存在した。また、描くテーマも女らしさ(花や子どもなど)が期待された。
そうした中で近代日本の女性洋画家たちは現れ、やがて励まし合い連帯して自分たちのグループを作っていった――女艸会(1934年)、七彩会(1936年)。戦時下にあって、戦争画のテーマは男性画家による男性兵士の戦闘などが中心となり、国家政策は女性に「妊娠出産」を促し、女性画家たちは少年兵を描いた。1943(昭和18)年、陸軍の指導により洋画家長谷川春子らが女性美術家たちに呼びかけて「女流美術家奉公隊」(会員、約50名)を結成した。同年、奉公隊は「戦ふ少年兵」全国巡回展を開催、工場での勤労奉仕にも従事した。さらに陸軍省から依頼を受けて銃後をテーマにした作品「大東亜戦皇国婦女皆労之図」二部作(春夏の部)(秋冬の部)を共同制作し、44年陸軍美術展に出品した。女性画家にとって社会的活動の場と共に物不足の中で軍から画材を提供されたことも魅力となったことだろう。この下図には、新聞雑誌で掲載された戦時下に働く女性たちの写真(農村女性、女性消防団、女子学生旋盤工など)が利用された。吉良さんは、画面で写真と絵画とを比較しながら、わかりやすく解説された。例えば、写真の男児は女児に描き換えられ、女性が前面に描かれていた。女流美術家奉公隊の行進の絵も加えられおり、それは自分たちが切り開いた自負心を明示していた。この絵は女たちによる40種余りの労働を描出しており、戦時下ジェンダー規範からの揺らぎをも示すものとなった。
次に、このグループに加わった二人の対照的な女性に着目する。長谷川春子(1895-1967)と三岸節子(1905-1999)である。二人は親しく、三岸は長谷川に誘われて奉公隊に参加する。だが、間も無く「戦ふ少年兵」展の準備中に二人は離反する。のちに三岸は「戦時、あなたに協力しなかった私を、あなたは…非国民とののしった」と記している。三岸は軍部の美術観に懐疑を抱き、人物画に抵抗感を持っていた。この二人の姿は戦争にどう向き合うのか、戦争協力と女性の地位向上について苦悩した当時の女性運動家たちの姿にも重なり合うと思った。戦後、長谷川はエッセイなどへと活動の場を移す。一方、三岸は、女流画家協会の創設に尽くし、1994年に女性洋画家として初めて文化功労者に選ばれている。
最後に、現在でも美術界でジェンダー不平等は解消されてないとして、次の点が指摘された。①美術系大学における教員のジェンダーアンバランス、②ライフイベントによる女性アーティストの離脱、③美術評論のジェンダーアンバランスなど。
質疑応答では、なぜ今このテーマが関心を集めるのか、現在のウクライナ戦争についても触れられた。美術史からジェンダーのあり方が浮かび上がってきた講演であった。
(金子幸)
【イベント詳細】2023連続講座「“政治”を揺り動かすⅡ―次世代へ希望のバトンをつなぐ」第4回
講師 |
2023年9月9日(土)13:30〜15:30 「ジェンダー視点から学ぶ日本女性史 ―戦争と女性画家たち」 吉良智子さん(日本女子大学家政学部学術研究員) |
形式 |
オンライン(zoomウェビナー) |
参加費 |
1,100円(税込) |
定員 | 50名(要予約) |
【講師メッセージ】美術は政治や社会とは無縁の世界だという考え方は根強くあります。しかし、むしろ美術は権力とともにあるのが常です。特にアジア・太平洋戦争期に美術家たちは、作品でもって国民を鼓舞し慰めました。実は女性美術家も無縁ではありません。本講座では男性優位の美術界で彼女たちが何に直面し、どのように制作してきたのか、実際にスライドで作品を見ながら一緒に考えていきましょう。現代社会とも共通する問題や観点がきっと見つかるはずです。
【プロフィール】千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。博士(文学)。専門は近代日本美術史、ジェンダー史。著書に『戦争と女性画家 もうひとつの「近代」美術』(ブリュッケ、2013年)、『女性画家たちの戦争』(平凡社新書、2015年)など。東京新聞夕刊に「炎上考」連載(2021年1月~12月)。